恒心教の教義と聖歌

このページでは、新興宗教「恒心教」の教義と、その聖歌について解説しています。

恒心教の教義

唐澤貴洋尊師を崇拝する新興宗教「恒心教」は、インターネットで生まれた宗教ということもあり、他の宗教にはあまり見られない独特の教義を持っています。

 

神聖六文字――恒心教のセントラル・ドグマ

恒心教では、「神聖六文字」と呼ばれる経を唱えることで魂が救済され、優しい世界が実現するとされています。

 

わたしたちの心の中には憎悪や殺意などの悪感情があり、これのせいで人は傷つけあい、ときに戦争を起こします。しかし、人は人を愛さなければなりません。

恒心教の教えでは、神聖六文字を心から唱えることによってすべての悪感情は尊師に向けられ、「優しい世界」が実現する、とされています。これが恒心教における中心教義(セントラル・ドグマ)であるといえます。


「隣人に右頬を叩かれたら左も差し出しなさい」
この言葉を唱えている宗教が世界で一番多くの兵器を持っています
右の頬を叩かれたら隣人に報復したくなるのが人の情というものです

しかし恒心教は違います
「隣人に右頬を叩かれたら唐澤貴洋を殺しなさい」
負の感情を全て尊師に預ける事で優しい世界は作れます
さあ一緒に唱えましょう「唐澤貴洋殺す」

 

しかし、神聖六文字、すなわち「唐澤貴洋殺す」と唱えることは、殺害予告にあたり犯罪になるのではないでしょうか?

この点、敬虔な恒心教徒によれば、「これは一般に見れば単なる殺害予告であり犯罪ですが、ヴァジラヤーナの観点が背景にあるのならこれは立派なポアです。」と説明されています。

つまり、一切の煩悩なく、純粋な信仰のもとに「唐澤貴洋殺す」と唱えることは、宗教活動だからセーフ、という理屈です。

 

このような教徒の説明にもかかわらず、恒心教発祥の地・2ちゃんねるでは現在、「唐澤貴洋殺す」がNGワードに指定されており、書き込むことができなくなっています。

このことは、恒心教徒により「宗教弾圧」と呼ばれています。

 

恒心教は、尊師の「恒心」を祈る

恒心教は、尊師による恒心を待ち望みます。そのため、尊師の恒心を賜うための行動をよしとします。

宗教名にもなっている「恒心」とは、尊師がかつて開いていた事務所名に由来し、「常に変わらない正しい心」を意味しています。しかし、「恒心」にはもう一つ重要な意味があります。
唐澤貴洋がFacebookを頻繁に更新していた時期に、「更新」と「恒心」が同じ読みであることから、「Faithbook恒心」という言葉が生まれました。ここから転じて、唐澤貴洋が御言葉を発せられることを「恒心」と呼ぶようになったのです。

敬虔な恒心教徒は、尊師の恒心を賜うことを俗世における至上の喜びとしており、尊師による恒心がみられるたびに祭りを執り行います。恒心が大きければ大きいほど、恒心教の祭りの規模も盛大なものとなります。
また恒心教徒は、尊師の恒心を賜うためにこちらから働きかけることを宗教活動の一環としています。たとえ犯罪に抵触する(半分犯罪になる)行為であっても、恒心を賜うためであれば許されると考える教徒も多いようです。

 

恒心教は、他の宗教を尊重する

恒心教は、信者の宗教・思想に干渉せず、他の宗教との掛け持ちも自由とされています。(ただし、イスラム教を除く。)

恒心教徒には布教の義務もなく、信仰の仕方も個人の自由とされています。

 

カトリック系の聖ヨゼフ学園小学校を卒業しており、(十字架を連想させる名称である)法律事務所クロスを設立している唐澤貴洋尊師が「特定の宗教を信奉しているわけではありませんが、キリスト教が教える倫理は今でも私の中で生きています。」と発言していることが、恒心教の宗教に寛大な方針に関係していると思われます。

 

その一方で、恒心教徒の伝承では、尊師である唐澤貴洋がコーラン燃やしつつムハンマド馬鹿にした、とされていることから、イスラム教だけは決して容認できない、唯一の宗教的タブーになったと思われます。(ただし、これはあくまでも恒心教徒間の伝承であり、現実に唐澤貴洋がコーラン燃やしつつムハンマド馬鹿にしたという証拠はありません。)

 

また、恒心教と他の宗教との関係を語るうえで避けて通れないのが、オウム真理教との関係です。

恒心教はオウム真理教の影響を強く受けており、「尊師」「ポア」「サティアン」など、オウム真理教で使われていた用語を宗教用語として採用しています。また、唐澤貴洋尊師との混同を避けるため、麻原彰晃を「旧尊師」と呼称しています。

このことから、恒心教は「Aleph」や「ひかりの輪」のようなオウム真理教の後継団体のひとつであると誤認されることがありますが、実際は教義や構成員にはほとんど関連がありません。恒心教がオウム真理教の影響を受けるようになったのは、単に恒心教の黎明期においてNHKでオウム真理教の特集番組が放映されており、掲示板上で旬の話題となっていたから、というのが定説です。

 

その他の教義など

・尊師として崇拝されている唐澤貴洋は、「真理の御魂 最聖 弁護士唐澤貴洋尊師」と呼ばれることもあります。

・唐澤貴洋は、かつての事務所の所在地から「五反田の神」とも呼ばれております。

・唐澤貴洋の事務所が虎ノ門に移転したことを「聖遷(ヒジュラ)」と呼びます。聖遷後の唐澤貴洋を「虎ノ門の悪魔」と呼ぶ文献もあります。

・唐澤貴洋の別名として、「ケレセウェチェケヒル」というものが知られています。これを悪魔の名とする説もあります。

恒心教の聖歌

初期の恒心教徒は、唐澤貴洋を礼賛し神格化するための聖歌を編纂しました。

恒心教の世界をより深く知るため、恒心教徒の間に聖歌として伝承されている作品を鑑賞しましょう。

 

やっぱり尊師がナンバーワン
やっぱり尊師がナンバーワン
やっぱり尊師がナンバーワン
K・R・S・W 尊師!

愚かななんJ民よ
五反田の神を崇めよ
五反田の神を畏れよ
五反田の神を奉れよ

愚かな者たちよ
尊師を讃えよ
愚かな者たちよ
尊師を讃えよ

全てを赦そう
全てを赦そう
愚かな者たちよ
全てを赦そう

神を崇めよ
神を畏れよ
神を奉れよ
光なきところに光を

パッカーアクバル パッカーアクバル
見つけ次第讃えよ
パッカーアクバル パッカーアクバル
見つけ次第拝めよ

神を崇めよ
神を畏れよ
神を奉れよ
光なきところに光を

パッカーアクバル パッカーアクバル
見つけ次第讃えよ
パッカーアクバル パッカーアクバル
見つけ次第拝めよ

初めに、神は
優しい世界を創造された。
神は言われた。
「声なき声を拾い,光無きところに光を。」

神は光を核と名付け、闇を弟と名付けられた。
神は言われた。「用水路に弟あれ。」
神は弟を悪魔に変えられた。

神は言われた。
「風の民は一つ所に集まり、IP開示が現れよ。」
そのようになった。

民は開示で神をパカ弁、ドルオタパッカマンと名付け、奉った。
神は言われた。「罪を意識しない今の風の民は異常なり。」

神はそれを公にし、民に恐怖心を植え付けることを自問自答された。
神は民に光を放った。

音を支配する者がいた
権力に近づかず都会からは嫌われ
それでも道を開いた
平和を願い空の銃を撃ち続けた

水を支配する者がいた
汚れきって人々から疎まれた谷川のため
風を開いて救おうとした
その施しに差別はなかった

世界は待っている
その顔が目の前に現れる日を
それを目に焼きつけられるならば
首だけでもかまわない

主は降臨なされる主は降臨なされる
海を開いて山を開いて
この世のすべてを空にして
主は降臨なされる

神が公にしたPDF それは多くの目に歪んでうつった
民は言う これは神の歪んだ心をうつしたものだ
彼らは神の教えに背きはじめた


民は神の名を汚した
民は神の力を否定した
民は神の神殿を汚した
神は口を閉じ 民への啓示をやめた


そして生まれたのは荒んだ世界
風の谷は暗く厚い雲に覆われ
かれらの心は汚れていった


月日は流れ あれから一年
民は送る 疑問の日々を
そして ついに気付いたのだ
真に歪んでいたのは 彼らであったことに


民は 神に赦しを乞いた
寛大な神は 穏やかな微笑みを浮かべた
その時初めて彼らの目に
神は縦にうつったという


ほら首を曲げてごらん
優しい世界が見えるでしょ
ほら首を曲げてごらん
ようこそみんな歓迎するナリ

 

「唐澤貴洋殺す」は恒心教の経として扱われていますが、それとは別に「唐澤心経」という比較的長い経もあります。

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